第二回「のようなもの」藤井颯太郎×今井聖菜
劇作家・藤井颯太郎は落ち着きがない。詩的な言葉のイメージだけで物語を進める「ファントムペインに血は流れるか」「虎と娘」のような作品ばかり書くかと思えば、不条理なコント「生贄」や、ミュージカル「DADA」、台詞のない戯曲「56db」を書く。そして、2018年の新作「ラッツィ・バッツィの耳を1000回殴る」はモーツァルトの遺作をめぐる喜劇だという。彼はどう劇作に向き合っているのか。そして各作品の裏には藤井の執筆や演出を支える "藤井補佐" 今井聖菜の存在があった。
「ラッツィ・バッツィの耳を1000回殴る」あらすじ
モーツァルトが死んで五日。妻のコンスタンツェは困り果てていた。夫が残した仕事の依頼先から、「仕事が未完の場合は、前金の返金に加え違約金を支払うこと」と催促が届いたのだ。遺作「レクイエム」は完成していないが、借金まみれで違約金を払うことができない。しかも、父を失った二人の息子を女で一人で育てていかなければならない。コンスタンツェが頼ったのはモーツァルトの弟子の中でも最も才能がない弟子・ジュスマイヤーだった。
彼はモーツァルトに「ラツィバツィ(変態おかま野郎)」と呼ばれていた。彼がゲイであること、彼の恋人が彼の教師で牧師であることを世間に公表すると脅し、未完のレクイエムを完成させることを誓わせる。伯爵の遣いと約束した締め切りまであと六時間。才能のない弟子と音楽を知らない妻が、自分の生活のため、天才モーツァルトの最後の名作をめちゃくちゃにする物語。
あくまで"藤井補佐"
小野 今井さんはいつから演出助手をされているんですか?
今井 去年の「56db」韓国公演くらいからですね。
藤井 当時は「藤井=劇団であってはならない」という意見が劇団内で強まっていた時期でした。それを最初に唱えたのは僕自身でしたが、お陰で「すべての権限を藤井に与えると集団が滅びる」という危機感が劇団内に生まれて(笑) それで、規約をつくり権力を制限し、できること・できないことをきっちりしていこうと決めました。そういった経緯で、彼女が僕の監視役を担当することになったんです。
今井 だから、今でも私の役職は "藤井補佐" なんです(笑)
小野 どんな役職ですかそれ(笑)
今井 やることは演出助手やドラマトゥルクのようなことです。劇作の背景にあるものを調べたり、抜け落ちている考証を補ったり。稽古場で「モーツァルトの魔笛から、あれとあれが欲しい」と頼まれたら楽譜を探しに本屋へ行って。
藤井 大阪第二ビルの笹屋書店とかね(笑)
今井 とにかく色々なことをやります。アイディア段階の次回作の話を聞いて意見交換したり。
藤井 昔は劇団員のみんな「藤井さん、次の作品どんなんですか?」って聞いてくれて「へへ、面白いんだぜ」って話してたんだけど、今となっちゃ、アイディアを話しても「へぇ、面白そうやん。早く台本にして」って言われちゃって(笑) 台本書いてる期間、本当に書けるのか不安で泣きそうだし、作家の皆さんは共感していただけると思うんですけれど、本当に孤独なんですよね。
小野 そういえば、「虎と娘」の初演時、台本が書けなくて、夜、雨の中逃げ出そうとしていましたね。
藤井 孤独だからこそ、そこにはいない「観客」に対して作品を書ける。世界に対して開いていくために作家に孤独は必要だと思うんです。でも、劇団の代表だから、作家としてだけ毎日を過ごせるわけじゃない。台本を書く期間は彼女に代表の業務を代行してもらって、作家の時間を作ったりとか、孤独すぎて「見えない観客」が本当に見えなくなってしまった時、実際に観客になってもらってアイディアを聞いてもらう。
今井 作品になる前、企画書になる前のアイディアを聞いて意見や感想を伝えたりできるのは楽しいですね
藤井 論文や書簡集などから面白い言葉があれば教えてくれたりもします。
小野 例えばどんな面白い言葉がありましたか?
藤井 この作品のタイトルである「ラッツィ・バッツィの耳を1000回殴る」というのも、当時の保養地であったバーデンで湯治を行っていた妻・コンスタンツェへ宛ててモーツァルトが書いた書簡の一節なんです。
小野 あ、このタイトルはモーツァルトの言葉なんですね! へぇ!
藤井 「タンツェマリーニ(コンスタンツェの愛称)に1000回のキスを。ラッツィ・バッツィの耳を1000回殴る」という手紙の最後の締めくくりに使われていました。見つけたときは、すごく興奮しましたね。「音楽家の彼がこんなにもすばらしい言葉を残していたんだ!」って。
今井 でも、その手紙を350年後の日本人に読まれるとは思ってなかったでしょうね(笑)
ちむ仙人、下山
小野 お二人は劇団の旗揚げから一緒に演劇をされていたんですよね。
藤井 初めてあったのは僕が17歳、彼女が15歳の時ですから、六年前ですね。
小野 案外長い付き合いなんですね。今井さんから見て、藤井さんはどんな人ですか?
今井 一緒に話しながら作っていく中で、一番驚かされるのは投げてくる提案の多面さ。いろんな角度、いろんな立場からアイディアがびゅんびゅん飛んでくる。サラッと怖いことを断言したりする。これだけ言い切るのすごいな、って思いますね。
藤井 僕の仕事は決断することだけなので。「はい」「いいえ」「わからない」の三つの言葉だけで、言葉を濁さず即断即決するようにしています。
今井 劇団員がぼろぼろ泣いて涙ながらに訴えても「それは無理」って断言してて(笑) 怖いなぁ、強いなぁって傍から見てました。
藤井 ひどい人だ!
今井 私は他人の価値観にたくさん共感できる人間なんです。悪く言えば「自分には芯がない」。昔は誰の言い分にも頷けてしまう自分が嫌だなって思っていました。でも今、こういう仕事をして、違う立場の人間同士の衝突の痛みを少しでも和らげる、緩衝材のような役割を果たせると知りました。私は向こうの立場もこちらの立場も「理解」できる。あとは両者をどうやって「納得」まで持っていくのか。それが自分の役割なんだと気づいたんです。
小野 それが自分の芯になっていった。
今井 みんな、お互いの顔色を伺い合いながら「白かなぁ、黒かなぁ、他の人はどっちだろう」って悩んでる。自分は表明しないのに「あの人の言葉は真実だろうか、いや嘘だろうか、白だ! いや黒だ!」と関係を決めつけてしまう。白の人と黒の人に表明してもらって、価値観の溝を知ること。その溝を埋めてお互いが納得できる二人だけのグレーを作っていくことが、本当の対話なんじゃないかと思うんです。
小野 藤井さんは今井さんと仕事をする中で、どんな風に感じていますか?
藤井 彼女は何を話すにしても「イエス&イエス(いいね! あと◯◯しようよ)」の姿勢で接してくれるので、ありがたいなと感じます。創作の初期段階は「イエス&バット(いいね! でも◯◯ですね)」の姿勢だと面白いものが出てこないと思うんです。イエス&イエスガールなんですけど、気づいたらちゃんと現実の落とし所を見すえているクレバーな面もある。調子に乗らせてくれるけど、馴れ合わせてくれない。非常に頼もしいです。
今井 15歳の時に藤井さんに初めて出会って、その時は山の上に住んでる仙人みたいな人だったんです。人生四周目くらいしてるなって(笑) それぐらい変な人だったんですね。天才だし、届かない人だなって。でも、ちむ(藤井の愛称)の補佐になってから、藤井さんの怒りだったり弱さだったり、人間的な弱さを抱えた負のちむが見えてきて、ちむが山から降りて来た。遠い存在でしたけれど、やっと仕事仲間になって来た気がします。
リアルよりリアリティ、ユーモアよりもユーモラス
小野 史実を劇にしていくとき、どんなことを基準に劇作していきましたか?
藤井 うーん。資料には第一級資料と呼ばれるものから、三級、五級と、いわゆるマユツバ、都市伝説的なものまであるんです。普通は信憑性の高い第一級から読み進めて行くのが正しいらしいんですけど、僕は劇作家だから正しいだけで書くのは面白くないと思っていて。
小野 一つの説を拠り所にせず、色んな説に触れていくんですね。
藤井 モーツァルトの一番下の息子の名前は、フランツ・クサヴァー・ヴォルフガング。モーツァルトの弟子であるフランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーの名前と同じなんです。僕は、ジュスマイヤーとコンスタンツェが不倫をしていて、モーツァルトの息子はジュスマイヤーとの子供だったという説をあたりまえのように信じていた。音楽座の「マドモアゼル・モーツァルト」が大好きだったしね。でも、モーツァルトの書簡を読んでいくうちに違うんじゃないかなって考えはじめた。一つは、たびたびジュスマイヤーを訪ねてやってくるイギリス人の夫婦の描写。「イギリス人」という表現が、当時「イギリス病」と呼ばれていた同性愛を指す言葉だった可能性があると考えた。もう一つは、足を感染症に侵されたコンスタンツェが、美男の街・バーデンへ湯治へ行く際、ジュスマイヤーが付き添っていたこと。バーデンでは一応、二部屋の家を借りて滞在していたようだけど、妻に弟子の男を付き添わせて同じ部屋に寝泊まりさせるのは普通のことではない。
小野 つまり、モーツァルトはジュスマイヤーがゲイであることを知っていたから、妻を任せた?
藤井 ではこの「イギリス人」は誰なのか。ジュスマイヤーの恩師であり、恋人でもあったパスターヴィッツという牧師の男なんじゃないか。なぜ何度も何度も訪ねて来るのか…。「ジュスマイヤーは同性愛者だった」という説と「ジュスマイヤーはコンスタンツェの愛人だった」という説があったとき、どちらかが正解なのではなく、どちらとも一つの物事の側面でしかないのだと捉える。そして、二つの説の矛盾する謎を深めていくことで物語が生まれてくるのだと思います。
今井 さっきの、グレーの話のようなことですね。
藤井 そうですね。だから、この作品はリアルを目指していません。リアルよりもリアリティ。ユーモアよりもユーモラス。「そんなことありえないけれど、そうなのかもしれない」「笑えないけど、可笑しい」そんな感覚を目指してこの作品を書いています。
小野 リアリティ、ユーモラス、つまり「のようなもの」ですね
藤井 「のようなもの」を物語にするためにはお客さんのイマジネーションが必要になる。演劇には「伝達」の演劇と「発見」の演劇があると思う。今はテレビやユーチューブ、ネットフリックス、アマゾンプライム(幻灯劇場「DADA」はアマゾンプライムにて絶賛発売中。買うてください。)など、物語を一方的に伝達してくれる娯楽はたくさんある。演劇は劇場でしかできないことを求めて、徐々に物語を伝達する場から何かを体験し発見する場になっていくんだと思います。演劇にしか出来ないことを突き詰めていくとき、そこに必要になるのは日常を切り出してくることではなく、日常を忘れさせる幻想の世界を作り上げることでもなく、「のようなもの」を出現させることだと思うんです。
今井 リアルは、一点めがけてピンを刺すイメージ。そこには当事者がいる。リアリティは、点から複数の当事者へ広がっていくイメージがありますね。
小野 「リアルは刺さる。リアリティは染みる」ってことですね。
幻灯劇場≠藤井颯太郎
小野 劇団の代表として意識してることを聞かせてくれますか。
藤井 代表をして、「幻灯劇場=藤井颯太郎」にならないようにしています。劇団の名前が売れたときに、自分だけが売れてしまうみたいなことは避けたいなと思っていて。人を紹介されたら必ず劇団員の誰かを連れて行って売り込んだり、そういうのは意識してます。
小野 劇団の平均値をあげていくことにこだわっているんですね。
藤井 あと、やっぱり「代表」だから、みんなに甘やかされちゃって(笑) 一つ喋ったことが、誰の審査も通らずに劇団の大前提になったりしちゃうんです。だから、自分で提案しておいて「この企画、おかしくない!?」って自分で止めたり(笑)
小野 代表の発言が、必ずしも絶対ではないということですね。でも組織の代表の言葉は組織の大前提になりやすいですよね、やっぱり。
藤井 「僕の言葉=幻灯劇場の正解」にならないように気をつけています。劇団員が「なんとなく」共通認識や前提条件を持ったりするのは、ちょっと違うんじゃないかなって。
小野 そうですね、代表の決定に委ねず、一人一人が自覚的になって欲しいということですね。
藤井 代表ではあるけれど社長になりたくない。組織の中の作家でいたい。世の中には運営やマネーゲームが上手な人はたくさんいますから。アーティストがシステムを作る。そして、それをプロのマネーゲーマーに渡す。その人がアートを尊重することはできなくても、システムを尊重することならできるかもしれない。そういう風にお金とアートを結び付けたりできるんじゃないかなぁ。ねぇ、プロデューサー。
小野 はい、プロデューサー。
於・藤井宅
話し手
藤井 颯太郎[Fujii sotaro]劇作家・演出家・俳優。 宝塚北高校演劇科在学中、幻灯劇場を旗揚げ。『ミルユメコリオ』で第四回せんだい短編戯曲賞大賞を史上最年少受賞。
今井 聖菜 [Imai seina]15歳の時、幻灯劇場旗揚げに参加。その後『虎と娘』アノネ役で初の主演。アイドルといちご、妖怪に精通。歴女の一面もある。
聞き手
小野 桃子[Ono Momoko]兵庫県立宝塚北高校演劇科在学中、幻灯劇場旗揚げに参加。幻灯劇場のプロデューサー。2018年ブームスポーツ編集局のレポーターに就任。